特集 第41回 「環境対策の本質とは」
2008年7月1日掲載
特集第41回、今回は環境がメインテーマの洞爺湖サミット開催に当たる月ということで、環境をテーマに「環境」の本質について以下の部門別に考えていこうと思う。
1現在の地球環境の現状2環境と世界の現状
3日本の環境問題
4環境対策とその本質
5本当の意味での環境対策とは
1「現在の地球環境の現状」
私たちは地球で生まれ育ってきた。しかし、人一人が生まれ死に行くまでにどれだけ環境負荷を地球に与えて来たか?ということは考えたことはあまりないだろう。
しかし人間が生きる=環境負荷を与えるという切っても切れない法則が成り立っている。
現在産業革命から続く地球温暖化がとりわけピックアップされている。
化石燃料の利用により温室効果ガスが大気に大量放出されつづけて来た。そして現在わずかだった環境変化が目に見えて起こるようになってきた。
海面上昇、熱波に寒波、熱帯低気圧の大型化、極地の氷の減少など、今までなかった天変地異が起こるようになってきた。そして今後も温室効果ガスの放出が続けば、もう穏やかな地球環境を取り戻すことが出来なくなり、人間を含め、多くの動植物が消えると言われている。そして後戻り出来ない状態になりつつあり、今が瀬戸際だとも言われている。
2「世界の現状 」
世界では今環境対策をする国がある一方で、それまで発展途上国と言われていた国々が急速な経済発展を遂げている傍らで大量のエネルギーが消費され、温室効果ガスが排出されている。またそうした国々の環境対策は全く出来ていないと言う事情もある。
さらに温室効果ガス削減は経済発展を妨げるとし、京都議定書を抜けたりする国まで出る自体になっていて、世界の共通テーマである地球環境問題に関しては、世界の国々の連携は決してとれているとは言い難い状況である。
その理由として、自国や一部の企業、人の利益に影響があるため、衰退や発展の妨げになるからと言った理由が上げられる。
3「日本の環境問題 」
では日本の環境問題はどうなのか。
そもそも環境問題とはなんであろうか、また環境とは何だろうか。
環境問題は大きく分けると2つに分けることができる。
1つは今叫ばれている温室効果ガスの問題や地球温暖化、化学物質云々というものなどの分野、すなわち化学系環境問題である。
もう1つはそれに対して経済は?人々の生活は?社会構造は?などと言う社会系環境問題である。
この二つはさらに様々な分野や方向に繋がっているが大きく分けるとこの二つになり、そして関係ないように一見見える部門同士でも実はどこかでリンクして繋がっているのである。
つまり化学系環境問題を解決するには社会系環境問題も解決する必要があり、またその逆もあると言うことになる。
では日本の環境問題に対するその対策はどうかと言えば、環境先進国と言われているはずの日本では、一つの問題にはそのものしか解決しようとしないと言う解決方法をとるのだ。
例えば、温室効果ガス削減を目指すとなり始めたのが電気やガス、石油などの資源の利用削減により温室効果ガスは減るとみこみ、積極的に省エネに勤めるように求めるようになる。これを「コマメチャン主義」とでもしよう。しかしこれで本当に解決策になるだろうか。
確かに省エネはやらないに越したことはないだろう。しかし問題はむしろその背景、すなわち社会システムにあるのではないだろうか。
例えば省エネで言えばコマメチャン主義ではなく、温室効果ガス削減を目指すならば、温室効果ガスが出ないものをエネルギー源とすればよくはないだろうか。
それは太陽だったり風だったり波だったり、はたまた木炭や薪など自然由来のものをいかに石油に変わるほど低価格で安定に供給でき、効率のよいものにするかと言う研究や、導入に対して社会がどうあるべきか、またどうして石油のように爆発的に普及出来ないのか、その背景にはどんなものがあるのかと言ったことを考えなくてはならないのではないだろうか。
コマメチャン主義で減る温室効果ガスの量は全体からみると少ないはずで意味がないに等しいかもしれない。コマメチャン主義で温暖化が解決するレベルはもっともっと初期の話しだからである。
4「環境対策とその本質」
今の日本の環境対策は本質を見て見ぬふりをしているのかもしれない。これをやるのは大変だとか、やると私的、公的に不利益である、生産的ではない、コストがかかるといったことで本来やらなくてはならないこと、本当に必要なことをやらず環境対策とは名ばかりの上辺だけや本質からずれたことで済まそうとしているのかもしれない。
例を挙げると、温暖化対策で国が年間車の生産をこれだけにしてそれ以上作っても売ってもいけません、国民も車は一家に一台まで、年間走行距離はここまででそれ以上は自動車の運行は出来ません。という温室効果ガスの移動タイプ発生源である自動車から出される排気ガスを抑える根本的な政策を展開するとすれば、経済界や国民を中心に猛反対が起こるだろう。しかも今日の日本はモータリゼーション以来の自動車社会である。乗りたくなくとも乗らざるを得ない実情もあるのだ。
さらに国などが提示してくる温室効果ガス削減策はどれも車ありきのモノばかりで、根本的な「車の台数を減らす」というものは一切ない。自動車の利用を控えて・・・という表現があるが、控える=やめるわけではないのだ。つまり車の保有台数そのものを削減するという根っこの部分を解決せず車ありきの考え、つまり車社会を変える考えは一切ないのだ。現にどうだろうか、自動車の乗り入れを控えて・・・という文句は聞いたことあるかもしれない。しかし「車を手放しましょう」というようなことを聞いたこともないはずだ。ただこれには乱暴な一面もあるため、アフターケアも必要になる。車を減らす一方で国が責任を持って公共交通の充実を都市部だけでなく、地方へも行わなくてはならない。しかしこの仕組みは日本は持っていたのだ。それが「国鉄」である。国鉄が分割民営化された理由にモータリゼーションにより人々の足が鉄道から自家用車へ移ったからという理由があるからだ。
さらに自動車関連には自動車の値段から始まり自動車には多額の重税がかけられ、国の税収のかなりの部分を占めていると言っても過言ではないし、自動車を取り巻く経済的効果はかなりあるだろ。車が走る道路だって必要になるわけであるから、間接的、直接的問わず日本の経済界を支える柱の一つである。
そこに環境対策を理由に厳しい規制がかかるとたちまち経済が成り立たなくなることは言うたまでもないだろう。
さらにヨーロッパ諸国の中には都心部へは車両の乗り入れが禁止されているところすらある。
ここらでは日本では路面電車と呼ばれる「LRT」が都心部を駆け抜けており、郊外の駐車場まで車で来て、そこからLRTで都心へ入るというスタイルである。都心へ入る車の台数を少なくするという問題では根本的な対策だ。
日本でも路面電車は存在する。しかしすっかり自動車に邪魔者扱いされ、廃止されるところが多い。日本ではそんなスタイルがまるでないのである。
これを行うにはまず路面電車もそうであるが、公共交通の強化が必須になってくる。そして基盤を作った後には郊外の駅やターミナルに無料、もしくは乗車料金に駐車料金が入っているような仕組みの専用駐車場を整備することが必要になってくる。
さらに交通費が安くなくてはならない。車の維持費+交通費という形になるのだから、交通費が安くなければ割に合わないため、協力的にはなってくれないのだ。公共交通を使うと得するという実感を人々が感じなくてはならないのだ。
さらに交通の整備も政治や権力で左右されないものを作る必要がある。日本の交通整備は何かにつけて政治家の力でそっちへ引っ張られる傾向にある。これは価値の低かった地域にそういったものを引き込んで、土地の値段の底上げを行いそして土地を売って儲けるというスタイルが影にあるからである。こういったスタイルやシステムを一切なくし、あくまでも利用者側に立ったものとしていかなくては、本当に必要なところに必要なものがないということになってしまい、結局は多額の税金をつぎ込んで作った代物も役立たず、もしくは本来発揮すべき力が半分やそれ以下になってしまうことになるのだ。
そういったものを一切なくして整備していかなくては、この自家用車と公共交通の連係プレーは成り立たなくなる。
し今本当に求められる環境対策とはコマメチャン主義ではなく、こうした人々の意識改革と社会構造をもひっくり返し、作り直さなくてはならないほどの事が求められるのである。
そうしたことを進めるにあたってはまずみんな同じレベルで環境に対する意識、知識をもち、理解を得ることが必要で国レベルから国民レベルまでみんな同じ方向を向いていなくてはらないのである。
そのために求められる事はまずは本当の環境教育をすることである。
それはまず環境問題とはなんなのかということを国民が同じレベルで知る必要があるからである。
洞爺湖サミットに合わせてゴミ拾いや節電で街の明かりを消すといった試みが行われているが、ではそれは本当に環境対策になっているか、認められるか?といえば、多分国民の半分はNOを突き出すのではないだろうか。これが本質とずれたことなのである。またサミットが終わった後、継続される保証もないのである。
そのため、環境対策が進んでいるヨーロッパ諸国とりわけドイツなどから比べると、いかに日本の環境対策はズレていて、遅れているかが伺える。そんな国がサミットの議長国なのだから厳しい見方をすれば少し恥ずかしいといえよう。
5「本当の意味での環境対策と今後あるべき環境に対する姿とは」
以上のことから、とりわけ日本の環境対策というものは非常に遅れており、また本来の姿とはかけ離れたものばかりだ。
自動車を例に挙げると、台数削減という問題には手をつけず最新の技術であるハイブリッド、燃料電池、水素、ガス、クリーンディーゼル・・・などのエコカーと呼ばれる分野には積極的に手をつけている。
しかしそもそもエネルギー=環境負荷である。いくらエコカーといえどハイブリッド車はガソリンを使うし排気ガスだって出す。また燃料電池車も電気を必要とするため充電が必要だが、その電気はどうやって発電しているかを考えれば決してCO2発生0ではない。みんなが電気自動車にしても発電量を増やさなくてはいけないのだから結果は同じではないか。また原子力を由来とすると確かにCO2は出さない。しかしもっと恐ろしい地球を死の星に変えてしまう放射能というものを扱っていることを考えると、クリーン云々の話ではなく地球環境全体の問題となろう。
ガスやクリーンディーゼルも化石燃料に依存していること、モノを燃やすということには変わりなく、水素自動車も水素を発生させる過程ではどうか?といえば恐らくCO2をはじめとした物質を出すし、また事故などで引火した場合爆発的なエネルギー放出をするため安全性はどうかという疑問符がつく。
結果として根本的解決をするには化石燃料を燃やさなければよい、つまり車の台数を減らせばよいのだ。そうすれば製造過程での資源消費、温室効果ガスをはじめとした排気や汚水、廃品の発生を抑えられる。
しかし自動車は経済界の色々な部分で大きく繋がっているため、生産台数を減らさないだろうし、また今の日本の交通事情は車ありきのものなので、特に地方では鉄道やバスといった公共交通機関の恩恵にあずかれない、よって嫌でも車を所有し運転しなくてはならないという実情がある。
筆者もカーオーナーの1人である。確かに車が好きだということもあるが、しかし車がなくては生活できない、しにくいという反面がある。もしもっと交通機関の充実したところに住んでいれば車が好きでも必要としないため車を所有しなかったかもしれない。所有していても使用頻度は低いかもしれない。
そういった面から見れば公共交通というものは一極集中型という構図が見えてくる。
1日1往復しか列車が来ない駅、線路自体を剥がされるところもあれば、未だに新線開通のある大都市もある。
また交通費にも格差があるため高い地域ならば1人ならよいが、家族4人5人で移動となるとはやりガソリンの方が安いため車で移動ということになってしまう。
さらにこうした点から生活の格差や貧富の差といった生活環境など社会系環境問題という問題も見えてくる。
さらに最近では環境税というものを課税するところが出てきている。そういったところからも、税を有効に環境対策に使うためのしっかりとした税環境を整えることが必要になる。環境財政問題はきちんと行わないと一番不満の出るところでもあるわけだ。
森林税などというものがあるが、「なぜ勝手に生えてる木々を守るため我々が税金を払うのか?」ということは当然思うことである。
それを説明し納得してもらう努力、情報公開というものが必須になってくるし、当然目に見える形で税の使われ方が見えてこなければならないのだ。
それにはまず決める人間、話し合う人間、税を集める人間、使う人間、環境税に携わる人間すべてが同じレベルで高い環境知識を有し、共有していなくてはならないのだ。
だから環境税と徴収してそれを木を植える、山を直すだけの目的に使われるというのはおかしな話で、それも必要なものではあるが環境維持に必要な社会整備、都市整備といったことへも使われなくてはならないが、今の現状では知識が低い人間が環境を語っているためそう簡単にはいかないだろう。
知識が低い証拠に、環境を真っ先に考えていかなくてはならない環境省が「クールビズ」や「ウォームビズ」「暑い日には水を撒きましょう」などと言っているようでは環境先進国に恥ずかしいといえる。それに昨年度のCO2排出量で一番多かった省庁が環境省だったという点もあきれるばかりではないだろうか。またその排出量はあくまで机上での話であって、実際に測定したわけでもないのである。
それに暑い日に撒く水、ある国では飲む水すらないところもあるのに水環境を無視した行為はあるまじき行動といえよう。
2008年7月、北海道洞爺湖で行われるサミットは環境を主要テーマとしたサミットであるがここでもおかしな点が数々みられる。
まず警備問題から見てみよう。総勢2万1000人規模の警察官が北海道へ押し寄せ警備する。警備に使う車両や航空機船舶の数も「こんなにあったのか」というほどの台数が持ち込まれる。警備は今年早々から始まっているが、現地ではひっきりなしに車両が給油しにやってくるという。ということはそれだけの車両が大量のエネルギーを消費し、膨大なCO2を排出していることになるわけだ。環境がテーマのサミットなのにおかしいではないか。警備は必要だ、しかし自転車や徒歩といった方法があるではないか。そのために警察官というものは、体力のある人間を採用し、訓練も行っているはずだ。
さらに現地を走ってみると道路わきに延々と置された鉄柵や検問の看板などすべてが真新しい新品を使っている。そういたものへ使われる資源、そして製造過程でも熱や温室効果ガス、汚水が発生し環境負荷を与えているだろう。
さらにこのIT普及時代にネット回線を使ったTV会議というものがいまや可能になっている。しかし各国首脳はエネルギーを使い、排気ガスを撒き散らし、熱エネルギーを放出しながら日本の北海道洞爺湖へ大集結しそこで車列をなして行進する。これは環境サミットに相反しているではないか。
さらに留寿都村に30億円をかけて建設された国際メディアセンターはなんとサミット終了後、直ちに取り壊されるそうだ。
いくら再生可能な材料を使っているからとはいえ、その建設にかかった費用、つまり血税をはじめ、材料を作るために出された廃材、建設で使った化石燃料、そこから出された温室効果ガスや熱エネルギー、建設時は資材、取り壊しの際には廃材の運搬にも化石燃料が消費され、多くのCO2が排出されることだろう。そもそも再生できる材料を使おうと、環境にやさしいものを作ろうと、存続のものを使えば建設費も使う資源も排出される温室効果ガスの発生も「0」なのだ。
なぜあるものを使って行えないのだろうか。それは各国に失礼だ、恥になるという声が出るかもしれない。しかしその考えがすでにおかしくないだろうか。
「環境負荷を抑えるため、当センターは少し不便ですが存続のものを使用しています」などということにすれば納得してもらえるだろうし、もしそれで納得しないところがあれば、それはその国の環境へ対する意識はたいしたことのないところだということになるだろう。
経済効果ありきのことなのかもしれないが、本当に環境を考えるのであれば直ぐに経済効果に飛びつくのはいかがなものかと考える。経済性重視だと環境に与える負荷は大きくなる一方なのだ。
昨今の原油高も本来環境を考える上では燃やすと大気中のCO2が増加するという物質をオイルマネーで売り買いする人々が巨額の富を手にしている。これもおかしな話ではないだろうか。いまや環境に配慮していない企業は売り上げが少ないといわれる時代に逆行しているではないか。本来こうした石油に投機する人間には厳しい目が向けられなくてはならないはずだし、産油国も石油から脱却した何かをしなくてはならないはずだ。
石油資源の問題、そしてそれを燃やしたときに出るCO2をはじめとした有害物質の問題、石油というものはもはや環境を考える上では放棄しなくてはいけないエネルギーなのだろう。
そうしたことからも、化学の発展と社会環境の発展を両立させていかなくてはならず、その先にエコや省エネという問題があるのだ。しかし現状では終点付近のことにしか手をつけていないといえる。やらないよりはマシであるが、本来やらなくてはいけないのは省エネ、エコの話ではないのだ。それを行い考えていく機関、それが環境省のあるべき姿ではないだろうか。また当然現在の環境教育の多くがこうした本質とはズレたものなのだ。
ではCO2削減のために今政府や道が進めようとしているもの「コンパクトシティ」というものがよいのではないかということになる。要するに都市部に集まって生活しましょうというのがコンパクトシティなのだがそれもおかしい話だ。
ではみんな一極集中で都市部に集まったら人間が手をつけて開発してしまったため、二度と人間の手なしで自然の力だけで維持していけなくなった山や川、森など自然環境を維持、管理していく人々、いわゆる里山や農村といった地方に暮らす人々の役割はどうなるのかという問題がある。
そのつど入ればいいではないかという考えがあるかもしれないが、そこで生活を営むことに意味がある。その土地やものを熟知していないとできないことというものも数多い。
そうしたことも考慮していかなくてはならない。それが生活環境問題でありそれが化学系の環境問題にもかかわっている証なのだ。
また環境対策のやり方にも問題がある。ドイツを例に考えてみると、環境対策=何かを我慢することという考えが多くの人が抱くものだろう。人は誰だって我慢させられるのは嫌なものだ。
しかしドイツでは環境問題に取り組むことが自分にとってプラス、つまり得をすることだという仕組みが成り立ってきている。
容器の問題から目を向けると、ドイツでは使い捨ての皿やコップ、ペットボトルなどは敬遠されるという。かわりに繰り返し使える食器やビンが用いられるという。
そうしたものには金がかけられている。そして使い終わって返却するとその分の金が戻るという仕組みだ。かつて日本でもコーラのビンなどを店へ持っていくとビン代を返してもらえるという仕組みがあったし、現在も生きている仕組みだ。確かにリサイクルやリターナブルビンなどは逆に洗浄する過程などでCO2排出が新たに作るより多くなったり、水質汚濁問題が指摘される。しかしそういったものも何らかの形で資源にできるはずだ。
たとえば汚水に含まれる有機物を発酵させてメタンガスやエタノール、発酵熱を得るとか、田畑の肥料にするという方法があるはずだ。
それにきちんとした食器で食事することで、味気ない使い捨てものより見た目にもおいしく食事ができるとドイツでは好評だという。
さらに使い捨てにしても土に返るトウモロコシなどを原料にしたプラスチック代替品なども普及している。トウモロコシ由来のものは熱などに弱いとされたが、最近はその問題も改善されてきているという。
確かにトウモロコシを育てるのには大量の水と肥料を必要とする一面もあるが、そこはバイオを用いた農法があるのでさほど問題にはならないはずだ。
ドイツではそれまでプラスチックを使っていた部品をすべてこうした土壌へ帰る物質を使ってLRTを開発しやがて土にかえる車両として運行しているそうだ。
そうした目に見える環境対策で市民も自分も環境負荷軽減に貢献しているんだとか、環境問題に取り組むと、食事をおいしく食べられるし容器を返すとお金も返ってくるという「環境に取り組む=得をする」という意識改革がなされているのだ。
確かに他国で取り入れられている方法は必ずしも日本に会うかといわれれば違う場合もある。しかしそっくり真似をするのではなく、それをヒントにではわが国ではと考えていくことが大事なのだ。
環境税を取っている国がある、ガソリンに重税をかけている、だから「わが国でも」という安易な方法では国民の理解を得られないし、逆に「税金払ってるんだから自然を汚してもいい」という悪い考えにいたることすらある。さらにその徴収した税の使い方も徹底が求められる。
さらに環境問題は日本だけでなく、越境問題であるという認識を再確認する必要がある。
中国は今急速な経済発展を遂げている。しかし環境対策がまるで低いため、偏西風に乗って汚染物質が日本へ飛散し、数十年ぶりの光化学スモッグの発生や酸性雨が観測されている。
かつてドイツのシュバルツバルトの森(通称黒い森)の木々が酸性雨で丸坊主になってしまった、それはドイツではなく西側の国々から出された物質により降った酸性雨が原因とされている。
ドイツはこうした経緯があるからこそ環境への取り組みが結果として盛んに行われた歴史があるがこうした環境問題は越境問題であるということ、地球は1つの球体であるという再確認が必要なのだ。
本当の意味での環境対策とは、まず地球というものを理解すること、そして我々というものを再確認することから始まるのではないだろうか。そうしたことを確認しあう場、それが環境サミットではないかと筆者は考える。
もう大量消費大量廃棄の時代は終わりで、ガソリンをジャブジャブ使う時代も終わりなのだ。これからは少しの我慢で多くの得をする、そんな環境対策が求められるのだ。
「できることから」と今CO2削減に向けたメッセージがなされているが、これは温室効果ガスを単に減らすという目的だけのテーマで使うのではなく、できることから社会を変えていく、これが求められるのではないだろうか。
今地球は窒息しそうになっている。それは紛れもない我々の手でやってしまったことだ。しかし今度は地球に我々の手で一息つかせてやれるようにする、深呼吸させてやる、これが環境対策の一歩なのではないだろうか。
それにはまず環境問題を理解する必要がある、本当に果たしてそれが環境対策全体としてみると対策になっているのかということを見極める目を持つことも大事だし判断できることも大事になってくる。
こんな話がある。「リサイクルは環境によくない」。確かにリサイクルと聞くとなんでも環境にいいようなイメージがある。しかし本当に環境対策になっているのだろうか。
アルミ缶の場合実はリサイクルするに当たって洗って熱して溶かして鋳造しなおすという過程で製品として生まれ変わるまでに、ボーキサイトからアルミを作るより環境負荷が大きいといわれる。
「じゃリサイクルはやめて新品ばかり使えばよいではないか」という風になる。でもここで根本的に間違ってはいないだろうか。この考えはアルミ缶をこれからも使い続けること前提なのだ。そもそもアルミ缶自体を数や使用数を減らせば済むのではないだろうか。
こうした意識改革、考えの転換が今後の環境問題を考える上では不可欠になるだろうし、一番求められることなのではないだろうか。
これは便利になりすぎた社会の影の部分ともいえよう。昔は便利じゃなくても立派に人々は生活していたし、今日本の水準以下の国でもみんな生きている。こういう面から無駄というものを見つけ排除していく必要があるのではないだろうか。そしてそれが本当の環境対策であり、解決策なのではないだろうか。
こうした考えを世界中で共有しあって始めて環境サミットは花開くものになるであろうと考える。
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