特集 第42回 「公共交通のあり方」

 

2008年12月15日掲載

 

 特集第42回、今回は公共交通について考えてみたいと思います。

 公共交通を取り巻く環境は年々変化し、多様になる一方で、そのあり方に関して少し疑問を感じる部分も多いのではないでしょうか。今回はそうした部分に少しスポットを当ててみようと思います

 

1 公共交通とは

 公共交通、辞書には次のように記述されています。

「不特定多数の人々が利用する交通機関を指す」となっています。

ではもっと突っ込んで「公共」とはなんでしょうか。辞書では

公共とは社会全体に関することを取り扱う上において利用される用語であるが必ずしも抽象・理念的なものではなく、「私」や「個」と相互補完的な概念である。」とあります。

 これではよくわかりませんが早い話、誰のものでもないみんなのための物事ということが妥当な答えでしょうか。

そうした交通機関が公共交通と定義するのが妥当ではないかと考えられます。

不特定多数の人々が利用する交通機関とならば、タクシーやレンタカーまでもがその範囲に入ってしまう気がします。

では定義はなくともわかりやすく言えばなにかといえば、誰もが利用でき、国や地域にとって大事な交通機関というのが妥当でしょうか。

公共というのはそのあたりの定義が少し難しく、範囲の広いものではあります。

 

2 最近の公共交通の流れ

 わが国の交通機関はモータリゼーション以来、公共交通からマイカーへと移り変わってきました。すでに各家庭に1台車があるのは当たり前という時代ですが、その一方で近年そのスタイルがまた変化してきているようです。

 まず公共交通の一極集中が上げられるのではないでしょうか。東京、大阪、名古屋といったいわゆる3大都市圏では今も地下鉄を初め新しい鉄路が開かれ、どんどん便利に、快適に利用できるようになってきているようで、ランニングコストが非常にかかるマイカーを交通機関が十分便利であるために所有しない、車離れが進んできているそうですがその一方、地方の赤字路線では減便や路線の廃止などが相次ぎ、公共交通がどんどん利用しづらくなり、使えないものになりそして利用されなくなる、そしてマイカーのみが生活の足となってしまう、利用されなければさらに減便されたり路線が廃止されたりする、こうした両極端な構図が成り立っているのです。

北海道でも減便が相次ぎ、さらに路線の廃止では「ふるさと銀河線」の廃止、室蘭港のフェリー撤退が記憶に新しいところですが、全国的に見てもこの動きがあり今後も廃線となる鉄道が相次ぐようです。

 鉄路よりも深刻なのがもっと身近に、そして地域の足として走るバスです。特に過疎地域を走る場所ではバス路線の廃止が深刻で、限界集落(※)と呼ばれる集落ではマイカーやタクシー以外では出かけるのもままならないという事態に陥っている地域もあります。

 

※過疎地域で人口の50%が65歳以上の高齢者になり、冠婚葬祭など社会的共同生活の維持が困難になった集落のこと。存続集落→準限界集落→限界集落→超限界集落→消滅集落と向かうとされている。

 

3 乗客の減少以外の理由

 廃止や減便になる理由は先に述べたように「利用率の低下」が上げられますが、もう1つその理由があるのではないでしょうか。それは民営化や利益優先、合理化社会といったものではないでしょうか。

 国鉄は1987年に7つの会社からなるJRへと民営化されました。そして北海道に限って言えば規模の小さい町営、村営というものはそこそこ残ってはいるものの、地方公共団体が運行するバス、いわゆる市営バスというものは次々民間に譲渡され、あまり公共機関の運営する交通機関というものが少なくなってしまいました。2008年12月現在残っている道内の市営バスは苫小牧市営バスのみとなってしまっていますが、その苫小牧市でも道南バスへの路線譲渡が進んでいるようで2012年度までに完全譲渡することを決めています。ではこれは何を意味するのでしょうか。

 税収で賄われている公共機関は利益ではなく、あくまでも公共性を重視する機関ですが、一方で民間は利益あっての会社ですから利益が重視されてしまうのは言うまでもありません。

 ということは民間は交通機関とはいえ慈善事業でやっているわけではないので、公共団体で運営されていた場合ではあまりなかった、売り上げの良し悪しでその価値を判断され、売り上げの悪い路線は廃止や減便といった措置になるわけです。

 実際廃止になる交通機関の多くは利用客減少が理由に挙がっています。もちろん民営化の際には国や自治体からそれなりの支援や補助がありますが、その多くは期限付きであったりするのも事実です。札幌市営バスから移管された北海道中央バスの白石営業所管内の赤字路線の問題も、この補助金が打ち切られることでもめた問題でした。(※)期限が切れたその先はたちまち立ち行かなくなり、結果として廃止や減便という運命をたどる交通機関も少なくないのです。

 もう1つ利用者側の問題もあるのではないでしょうか。それは利用料金です。

 一時は燃油の高騰でマイカーの利用は減ったものの、それは公共交通と比べて多くは燃油の方が高かったからで、燃油が値下がりすると再びマイカー利用に戻るという人も多いのではないでしょうか。

 誰しも同じ場所へ行くのにわざわざ高い方より安い方を選ぶのは普通のこと、しかもマイカーだと自宅からほとんど歩かずに出発できますが、公共交通だと、家から空港や駅、バス停まではるばる向かうことになります。さらにそこまで向かうにも何かに乗らなくてはならず、着いてすぐ駅やバス停、空港といった場所の近くなどが目的地なら問題ありませんが、着いた先でもぐるぐると乗り継ぎ、乗り継ぐたびに交通費がかかるとなれば家の前から出発できて、目的地まで乗換えがなく、しかも自由にあちこち寄り道もでき、プライベートも守られ、さらに安く上がるのであればマイカーを選ぶのは当たり前ではないでしょうか。

 公共交通で行ったら交通費だけでマイカーで行った場合の現地での宿泊や食事代まで出せてしまう、これならマイカーやレンタカーを利用するのは当然の選択といえるでしょう。

 さらにそれが家族や仲間で何人もとなると料金負担も巨額になりますし、子供や高齢者がその中に入れば、特に乗り換えなどがあれば体力的、身体的に利用は辛いという場合も出てくると考えられます。

 たとえ特に冬場の峠越えが嫌だという場合でも、マイカーより断然高いとなれば危険を冒してまでマイカーで行くということもありえます。

利用客減少のもう1つの原因は利用したくても高くて利用できないという事情もあるのです。

 

※2008年、札幌市営バスが撤退するにあたって白石営業所管内の路線を運行委託された北海道中央バスが、補助金の期限切れを受け、それに伴い採算が見込めく立ち行かなくなるであろう路線の撤退を申し出て一度は廃止届けを提出、札幌市も後任を募り選考の結果JR北海道バスに引き継ぐことになったが、引継ぎに際し、営業所の中央バスからの買収、車両準備、乗務員確保などで膨大な負担を強いられる結果となり市民をはじめ反発し、それを知った中央バスが、市の負担を軽くするとの趣旨で廃止撤回を申し出て運行を継続することとした。これによりJRバスへの違約金の支払い、混乱を招いたことなどで市長等の減給処分が行われた。

 

4 公共交通の減便や廃止の効果は

 公共交通の減便や廃止では、住民生活が不便になる、利用できなくなるという以外にも影響はないのでしょうか。

 まず公共交通の利用客がマイカーなどに移ってしまうためさらに公共交通の減便や廃止となり悪循環が起こります。そしてより利用客がマイカーに流れたり、もしくは居住をあきらめて都心部へ人口が流出してしまいます。そうしたことで、地域の衰退にもつながるのではないでしょうか。また路線によってつながっていた地域同士のコミュニティも途切れることになります。

 単純に人口が減る以外にマイカーに乗客が流れてしまうことで、それまで地域内で買い物をしていた人々も、マイカー利用、マイカー保有者となれば、少し遠くの大型ショッピングセンターや都市部へ買い物に出かけられるようになるため、地域内での買い物をあまりしなくなってしまいます。そうしたことでの地域の衰退というものもあるのではないでしょうか。

 またマイカー保有台数が増えるということは、単純に燃油の消費が増え、それに伴い排気ガスの発生も増加します。

 ここにきてエコや環境といったことが見直され、注目を浴びる一方で、移動型のCO2発生源である車の利用増加はこうした動きに反しているといえるのではないでしょうか。

 貨物輸送の場合、CO2排出をトラックの7分の1にとどめることが出来るのです。

 さらに車の台数が減ることで交通事故も減らすことができ、これにより悲惨な交通死亡事故も減ることで人口減少にも少なからず貢献できると考えられなくはないでしょうか。実際燃油が高騰し気軽に車を使えなくなった昨年の交通死亡者数は減少し、さらに都心部での交通量が減り渋滞も少なくなったという報告があります。

 一度駅やバス停などがなくなってしまうとその地域の衰退の他、小さな地域では地図にも載らなくなってしまったりして忘れられた存在になってしまうのです。

 

5 公共交通の地位とありかたとは

 以上述べてきたように公共交通の利用減少には、利用客自体の減少、もっといえば地方での人口減少やマイカーへの依存、利便性の問題、そして利用料金の問題とありましたが、では今後の公共交通とはどうあればよいのでしょうか。

 まず利用しやすいものでなくてはならないということではないでしょうか。

 不便で時間は自由にならないし行動に制限はかかるし、利用料金まで高いとなれば、それをすべてクリアしてくれるマイカーに依存するのは当たり前の話です。確かにマイカーは燃料の他にも税金や車検、メンテナンスなどで金のかかるものであり、「金食い虫」とよく言われる存在ではありますが、それでもという場合も少なからずあるはずです。

 公共交通はそうしたハンディを背負っているわけですが、ではどうすれば利用客を増やせるのでしょうか。

 単純に言えば利便性を向上させ、安くするということです。マイカーを越える魅力があれば自然と人は流れるものだと考えられます。その一番の手はやはり利便性と料金だと考えられるのです。

 最近夜行列車の廃止が相次いで行われています。確かに夜行列車は人件費のかかる列車で、さらに利用客が減少しているのも確かです。しかしでは深夜の人の動きはないのか?といえばそうではないはずです。

 実際札幌―稚内の夜行特急が廃止になる前に季節運転化され、そして最後に廃止されましたが、最初に季節化された際、札幌―稚内間の夜行バスは2台体制で走っていることが多かったようですし、そのほかの夜行列車が廃止された路線の夜行バスもかなり人が入っているようです。夜行というスタイル自体が避けられている、人気がないのであればこうした夜行バスも廃止になるはずですが、利用客がある程度いるため運行が続いているわけですし、快適装備を備えた車両にもなってくるわけです。

 また海外に目を向けると24時間列車が走っているというところも少なくないようです。

 このことから察するに、夜間の人の流れというのはないわけではないのです。であればなぜ夜行列車だけが?ということに行き着きますが、そうなればやはりバスに比べれば圧倒的に高いからではないでしょうか。

 しかもバスの場合特急列車で言うところのグリーン車並の設備を備えていますが、夜行列車は古い車両の寝づらいシートがあるだけで、混雑時には足を満足に伸ばすことさえできないわけです。

一部半額という時期や割引切符もありましたが、B寝台で6300円となれば下手なビジネスホテルより割高です。そしてサービスも昼間特急以下である。これであれば夜行列車は料金に見合わないなどという考えにいたるのではないでしょうか。

しかしその夜行列車も集客力アップを図る方法がないわけではありません。

1つはバスに負けない安さで勝負するということです。夜行列車を使う人の大半は安くて寝ている間に目的地についていればいいわけです。ですから特急などの存在ではなく、急行や快速として運行すればいいわけです。そうすれば運行会社側もそんなにサービスなどにコストをかけなくてもいいわけですし、乱暴な言い方をすれば、乗客をほったらかしておいてもいいわけですから、ワンマンでもいいとも言えるのではないでしょうか。

実際かつて札幌―函館で設定されていた「快速ミッドナイト」は発車の何時間も前から若者を中心に長い列ができていた時期もあったといいます。

また普通や快速列車で気の利いたサービスがなくても文句はあまり出ません。そして夜行はそんな気の利いたサービスを多くの人は望んでいないと考えられます。列車をホテル代わりに使っている場合が多いためです。寒さや暑さ、雨風をしのげることができ、その上乗れればいい、寝られればいいのです。

もう1つは逆に豪華さで売るという手法です。

札幌―上野に寝台特急北斗星が青函トンネル開通と共に走り出し、一時は日に3往復も運行するほどの人気列車で、指定券の取りにくい列車として有名でした。そして同じ区間にさらに豪華なカシオペアが走り出したとき、指定券は即完売が続き、乗れない列車でした。

今でこそ世の中は不景気で旅行にあまり金をかけられない時代であるため、伸び悩んではいますが、そこそこ余裕があるとするならば、おそらく今もその豪華さを体感してみたいがために乗る人は少なからずいるはずです。現に豪華列車というのは常に人気があります。

 

こうしたことから、夜行というのは両極端な面を持っているものではないかと考えられます。が、いづれにしても安さか豪華さかという2つの付加価値をつけることで集客が見込めるわけです。

ではなぜ今夜行がなくなってきているのかといえば、利用客が単純に減っているという現実がありますが、これに関してはバスなどへ流れたためと先に述べたとおりです。利用客が列車から減ってしまったのに夜行列車というものは運行コストがかかるのが列車です。停車駅をはじめ深夜でもその列車のために施設を開けておいたり、人を置かなくてはなりません。冬なら除雪も必要です。

需要と供給がこれでは見合いません。そうなればコスト削減、合理化を進める会社としては夜行を廃止するという答えに行き着きます。

また車両も他の車両と統一できないためメンテナンス面でもコストがかかってしまいます。

ただその影響は夜行がなくなったために、普通の旅行ではない、たとえばレジャーや趣味活動で公共交通を使いたいという場合でも、なかなか困難ということになってきます。

特に北海道のような面積の広い土地では、朝一番の特急に飛び乗っても現地に着くのは昼過ぎであったりします。その後でさらに別な列車、または交通機関に乗り換えてさらに先へ向かうという場合、最終目的地に到着するのは夕方や夜になってしまう、しかも夜行列車であった安い割引切符も昼間特急では同じ価格では乗れず、はるかに高い料金を支払ってその待遇というのであれば、マイカーや夜行バスといった交通機関に流れるのも無理はありません。

夜行があれば0泊2日が可能だったものが3日も要してしまう、これでは利用客は「列車は使えない」と足が遠のいてしまいます。

夜行の廃止で駅周辺の衰退も少なからずあるでしょう。

 

早朝に着く夜行列車、そこから降りてくる乗客はまだ目覚めぬ街へ放たれるわけです。交通機関も始発がまだだったりと時間をもてあます乗客も少なからずいます。そうした人たちが向かうのは駅前のコンビニや市場、サウナや健康センターといった施設です。こうした人たちのおかげで地域のそうした施設も少なからず潤っていたはずです。

しかし夜行の廃止でそうした乗客がなくなってしまう他、利用客がマイカーなどに移ることで集客が見込めなくなってしまいます。

もしくは不便なためとして旅行すらあきらめる人もいるのではないでしょうか。

夜行列車がどこまでの効果をもたらせていたかは不明ではありますが、少なからずそうして地域外から来る客足が遠のくというのは多かれ少なかれあるのではないでしょうか。

単純に旅費が安ければ「ちょっとうまいものでも食っていくか」とか、「お土産の1つでも買っていこうか」という気になりますが、旅費が高くつけばそれなりに財布の紐が硬くなりそうはいかないはずです。

確かに運行会社からすれば、利益を考えればそうした値段になるのでしょう。しかし、一方で国や地域の支援があってもいいのではないかとすら考えられます。

経済効果の他、交通事故という問題があります。列車利用では無理な旅行も中にはあります。アウトドアといった部門がいい例です。しかしマイカーなどでの移動の中には公共交通でも十分対応できる旅行という場合もあるはずです。

特に北海道は冬季の道路状態が非常に悪く、冬は運転したくないドライバーもたくさんいます。しかし利用料金が高くつけばマイカーで「無理してでも」ということになってしまいます。

本当に交通対策をしたいのであれば、国や地域がこうした方向へ補助金なりの方法で助成して安く安全に人々が移動できるようにする方法があると考えます。

一部から「不公平」という声が上がるかもしれませんが、であればあなたもその恩恵にあずかりたかったら公共交通を使いなさいといえるのではないでしょうか。

 

交通事故減少、そしてCO2削減にもっとも根本的解決になることは、車に乗らないこと、乗らないように仕向けること、車を減らすことです。

こうした方向へ環境対策と交通事故対策として税金を投じるというのは山を削って、海を埋めて、自然を汚して多くの生態系を脅かし、たくさんのエネルギーを消費しCO2を排出する道路建設、中でも無駄な道路といわれる部類に税金を投入するよりははるかに正しい税の使い方ではないと考えるのです。

冬季限定のドライバー救済策としてこうした方向へ助成し、たとえば今まで1万円かかった片道の乗車券代を往復で1万円にするといった方法や、家族4、5人で乗っても往復2万円という切符を作って売る方法があるのではないでしょうか。

しかも税負担は環境省、国土交通省など関係省庁で少しずつ出し合えばどこかが多額の支出を伴なうこともなく、各省庁の負担も少なくて済みます。

そうすればたとえマイカーより二千円、三千円高くとも、「冬場の峠越えを考えれば列車にしようか」という考えにもなるでしょう。

年間に何百人も事故さえ起こさなければ、起きなければ死なずに済んだ人が事故によって死亡することを考えれば、そうした方向へ税を投じるというのはあっていい話しだと考えます。

また交通自体も強化する必要があるでしょう。今は特に地域を走るバスは存続か廃止かで綱渡り状態という路線が非常に多いはずです。そうした方向へ何らかの対策で援助することで地域の足が守られ、地域が守られ、もっと言えば日本が守られるわけです。

大都会へ集まって暮らせばいいという意見もありますが、では誰が農業や漁業をするの?第一次産業という分野を守り、維持していくのは誰?ということになるわけです。

わが国は10年後を目処に食料自給率を50%に上げると先日発表がありましたが、これを実行していくにはこうした地域に住み、そして第一産業に携わり、守り、維持していく人が必要なのです。

そうした地域の基盤を作る1つの道具に公共交通というものがありますし、必要になってきます。

確かに誰も利用しないものに税金を使うのはどうかといった意見もあるでしょう。しかし誰も使わないダムや橋を作ったり、年末から年度末にかけて行われる予算の使い切り目的だけの無駄な工事を行ったり、もっと厳しいことを言えば、無駄に頭数ばかりいる国会議員に支払う賃金等々があるならば、そうしたところ、つまり本当の「無駄」を削り必要な方へ振り分けるのは決して無駄なことではないと考えられはしないでしょうし、こういうのは無駄とは言わないのではないでしょうか。

 

公共交通は本来利益だけで判断されてはいけないものですが、最近は採算性ばかりで判断されてしまいます。それは無駄と判断されるからではないでしょうか。しかしたとえ今はほとんど空気を運んでいるような地域の足、地域の基盤でも決して無駄ではありませんし、残しておけばアイディア次第で多くの可能性を秘めているのも公共交通ではないかと考えます。

たとえば線路をはがさずに守り抜けばDMVというアイテムにより、線路と道路を使った新しい交通スタイル、人の流れというのが見込まれます。

バスやフェリーや飛行機もそうですが、身の丈に合い、さらにそれぞれの地域にあった方法でより便利にすることで集客に期待できますし、そういった部分へ国や自治体も積極的に利用促進に力を入れるべきだと考えます。

その点では札幌市で行っている「さわやかノーカーデー」というのは画期的ではないでしょうか。

これは毎月5日20日に通常より安い1日乗車券、「エコきっぷ」を販売し、公共交通の他、最近では加盟店で割引特典なども受けられるという制度です。

しかし通常の1日乗車券やプリペイドカードで利用できる民営バスがエコきっぷではかなりの路線や区間で利用できず、基本的に札幌市営バスの民間委託路線、区間が利用対象となっています。

料金は1枚大人で700円ですが、エコきっぷの対象になっていない路線沿線に住んでいる場合、駅までのバス往復で400円もかかるとするならば、1000円で販売している通常の1日乗車券を買った方が安上がりとなるわけです。

この片手落ちの制度に加えいまいちPR不足だというのもあるでしょう。

エコを狙うならば、通常の1日乗車券でも使えないバス路線やJRでも使えるようにし、札幌市を越えて近郊とも連携し、近隣の自治体からでも使えるものにするという方法があると考えます。実際札幌へ近隣の自治体からマイカー通勤しているという人も少なからずいます。

エコを狙うには札幌市内だけでなく、札幌市に入ってくる通勤の車にも対策を講ずるべきだし、そうしなくてはならないと考えるのです。というのは環境問題というのは、ある一点だけでなく、国や地域を越えた問題だからなのです。

こうした試みを過疎地では少し無理がありますが、札幌市だけでなく全道、そして全国に広げ、その場所に応じた交通機関が対象になるべきではないでしょうか。そしてこうした方向へ税金の投入を行うというのは正しい税の使い方だと考えます。

環境対策として行ったことでも環境への意識の高まり車の台数は減りますし、それによって事故も減ります。また公共交通を見直させるきっかけにつながりますし、身近になることで利用促進にもつながります。そうして地域の足が守られることになります。さらに列車やバスなどの待ち時間に少し買い物でも・・といった動きにもなるでしょう。公共交通の利用が生活の中の一部になることで移動の際利用する交通手段の1つに公共交通がエントリーしてくるわけです。

さらに最近では地域や企業が送迎バスやコミュニティバスを運行するケースが見られます。

こうしたバスは小ぶりの車体のものが多く、運行コストが低く抑えられますし、大型バスでは入ることができない狭い道へも入ることができ、細かい運行が可能です。そういったメリットを生かすことで、例えばあまり歩くことができない高齢者がわざわざバス停まで行かずとも下手をすれば家の前で乗り降りができるといったきめ細かいサービスを提供できるというメリットがあります。

すでにこうした今後の公共交通のスタイルを作るアイテムはそろっているわけですから、あとはアイディア次第でどうそれを生きたものにするかというのは知恵の絞りどころではないでしょうか。

新たなものを作って「対策」というのは簡単ですが、そうではなく今あるものでやることに意味があるわけですし、それが結果環境対策、交通対策、経済対策にもつながってくるのではないかと考えられます。

すでに線路やバス路線がなくなってしまった地域や移動に不便をきたす地域というものがあり、その地域にあるものを生かせというのは無理な話ですが、あるものといえばマイカーということになります。そのマイカーを生かし、たとえば鉄道や地下鉄の比較的大きな駅や人の集まる場所に利用者向けの駐車場を整備し、公共交通を利用した場合には利用料金が無料になるといったマイカーと公共交通とがリレーできるようにするといった方法もあります。

駅前に人が集まるということは少なからず駅前を中心にして地域の活性化につながるわけです。駅というのはその地域の玄関であり顔であるわけですから、活気のある地域をPRする場にもなるわけです。これは人が人を呼ぶといったところではないでしょうか。

そしてさらに都心部への車の乗り入れ数が減少するはずです。これにより都心部での荷物の運搬やバスや市電といった道路を使った交通機関の遅延が少なくなったり、安全性が増したりすることでより便利に快適に使える乗り物となるはずです。

そして今まで郊外から都心へ乗り入れていた車の走行する距離が短くなることで燃油の消費減少に加え、CO2削減にもつながります。

逆に都心部から郊外へ向かう場合、行った先が不便では同じことになりますので、そこはカーシェアリングなどの手があるはずです。レンタサイクルという試みがありますが、その車版という感じで低料金で車を貸し出せばたとえ郊外の交通が不便であってもいいわけです。

それによって都心部から郊外までオールマイカーというパターンは減少するでしょう。

利用に当たってはやはり一人であればいいものの、家族何人もで移動となれば公共交通は非常に高く不便なもの、そこで先に述べたような税投入といった形で支援し、格安で利用できるようにすれば多少不便をきたしても利用者は見込めはしないでしょうか。

今は車ありきの政策や考えばかりですが公共交通とマイカー、それぞれがいいところをつなぎ合わせることで公共交通、マイカーそれぞれに不足する部分やものを補うこととなり、より便利で環境にやさしい人の移動というものが可能になるのではないでしょうか。

公共交通を使うと我慢ばかりで嫌だというのではなく、環境にもやさしく、ガソリンも消費が少なくて済むし渋滞などあまりなく、さらに事故に合う確立が減るといった公共交通を使うと得をするといった考えになる交通対策、公共交通のあり方というものが今後求められてゆくのではないかそう考えるのです。

公共交通は近年利用率、収益が中心に考えられ利用者が少なくともその地域における重要性や交通によって地域同士が結ばれるつながり、公益性などはあまり考慮されにくくなってきているのが現状です。

しかし本来公共交通というものは利益などを主としてはならないものではないでしょうか。利益だけで判断されてしまうと特にこの北海道では人口の少ない過疎の地域が大変多くすぐに公共交通が失われてしまうことになります。

そうした地域がだんだん衰退し、人が流出し、ゴーストタウン化し、最後には風化し忘れ去られてしまう、これではこの国はうまくいくはずがありません。

はじめにも述べたとおりそうした地域に住む人たちがこの国の一次産業の大部分を支え、一次産業は直接的、間接的問わず私たちが欠かすことができない「食べる」ということに結びつき、それは命というものにも結びつきます。

また地域の伝統文化を残し続けることはこの国が今後も繁栄し、そして海外とは違う日本というものを維持していく大事なことにつながります。

公共交通は都会ではすでにタダの移動手段としか見られず、そしてまた公共交通を考える人々も大半がそうした大都市に住む人ではないでしょうか。それゆえ同じ公共交通機関でも大都会にはない移動手段という以外の地域同士の結びつき、地域住民の重要な足、地方の顔や象徴の1つなどさまざまな目に見えない大事な役目を担っているということが見えていないのでしょう。

そのことを考えれば利益だけでは判断できないものであるのは間違いありません。

よく過疎地域の交通機関に関して「そんな人も乗らないようなものを残しておいても意味がない」と言われがちですが、人が乗らないものにしたのはもしかするとそれを言っている都会の人間なのかもしれません。たとえば自動車という便利なものを作り、販売する一方で地方路線を減便して使えないものにし、マイカーと公共交通を反比例の関係にしたのは事実なのですから。

 

近い将来現在値下がりしている原油価格が1バレル(約159L)230ドルを超えるという見方が最近出てきています。

もしそのような時代がやってきたなら我々もう石油製品を買えなくなってしまいます。

そうしたときに公共交通も麻痺する可能性はありますが、石油由来のエネルギーから別なエネルギー、たとえば自然エネルギーなどによって動いている可能性もあります。

ガソリンをはじめとした石油製品が買えなくなった時、マイカーは使えなくなり、それによって公共交通を失ってしまった地域では同時に移動手段は自の力以外失ってしまうのです。

しかしその時に公共交通の大事さに気づいても、一旦失ったものはバス路線のように比較的簡単に引きなおせるものならばいいものの、鉄道のような特殊な設備が必要なものの場合はその復活は困難を極め、そしてその時に後悔しても遅いのです。

そのためには今一度、国、都道府県、市町村、区や地区、そしてお役所と住民などさまざまな立場や状況で見つめなおし、一体となって考えてゆく必要があるでしょう。

そしてその建設や廃止などは誰かの権力や財力、利益を最優先にするのではなく、公益性を重視し考えなくてはならないですしそれが「公共」というもののあり方ではないかと思うのです。

そういった意味でももう一度事業者は「慈善事業ではない」という言葉にどっかり胡坐をかくのではなく、多少なりとも慈善事業でもあるという意識を持ち、公共交通とは何か、そして公共、公益性とは何かを考え、見つめなおす時期なのかもしれません。そうでなくては結果的に客足が減れば会社も最後にはつぶれるのですから。

 

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