特集 第22回:卒業論文 ふるさと銀河線とローカル線の果たす役割T

 2006年3月11日掲載

特集第22回、昨年掲載の21回より時間があきましたが、今回は、去る2月10日締め切りだった管理人の作成した卒業論文をシリーズで掲載いたします。

本来、1章丸ごと1回としようと考えていましたが、容量の関係で、1回に着き1節2節という細切れということになり、少々シリーズとしては長くなろうかと思いますが、間に別な話題も挟みつつ掲載させていただこうと考えています。

あまりにも長くなるようでしたら、掲載方式を変更する事と思いますが、一応このようにやってまいります。

掲載にあたり、検討した結果、文中に出てくる人物名は出さないという方向にいたしました。ただし、参考文献等での場合は掲載いたします。また、管理人の判断で一部変更等をしている部分がありますが、出来るだけ本物と同じように掲載しようと考えておりますので、拙い論文ではありますが、管理人が銀河線へ寄せる想いとして書いております。本来中立の立場で書こうと思っておりましたが、銀河線を知る、考えるうち、存続側へと偏ってしまいました。しかし、それはやはり、銀河線が必要と感たがための結果であろうと思っています。長いシリーズになるかもしれませんが、お付き合いのほどよろしくお願いいたします。

※なお、第1章は要約、参考部分には特に記号は入れておりませんが、歴史等を論じたりはできないため、歴史、文献等を要約したと解釈下さい。

RAIL CRUISIN管理人

 

 

ふるさと銀河線とローカル線の果たす役割

 

はじめに

 2005年早々、北海道に大きなニュースが走った。ついに赤字が続いてきて、常に廃止の危機にあった「ふるさと銀河線」への年間2億円の出資がついにこの年限りで打ち切られることとなり、廃止予定となったのである。ほぼ同時期に北海道新幹線着工が決定した。北海道にとっては、大きなニュースである。しかし、このニュースを聞いた瞬間、「おかしいな」と感じた。なぜ銀河線が消える一方で、同じ鉄道の新幹線が新たに建設されるのかという素朴な疑問であった。データを見なくとも、明らかに新幹線建設の方が建設費等で銀河線維持費より金がかかるはずである。道内の旅客、物流の大動脈である東室蘭―五稜郭が未だ非電化であるというのに新幹線建設?それに北海道のこの厳しい気象条件の下で、耐寒構造になっている北海道の車両ですら、時折参ってしまうという環境の中で、ちょっとした雪でもすぐに運休してしまうような新幹線は、いくら耐寒化させたところで、車両の他、設備面でも絶対耐えられるわけがない、ということは、使えるわけがないと感じた。さらに、「その前に誰が乗るのだろう」と感じた。

 そうした一方で、地域に根付いている銀河線に、新幹線建設費から考えると、たった2億円出せないのかと思った。逆に言えば、新幹線は、一体最終的にはいくらかかるのか、それに、完成後の維持費がいくらになるのかが全く未知数であるのに対し、銀河線は年間たった2億円で済むのである。新幹線建設は今も予算が当初より膨れつつあるのである。

 筆者としては、それまでふるさと銀河線を使ったこともなく、銀河線の車両ですら、一度チラッと見ただけに過ぎなかったが、北海道の住民であるため時折、銀河線のニュースなどを見たり聞いたりしていた。そのため、多少なりとも、現状などを把握できていた。

 卒業論文を作成するにあたって、いくつか、テーマに候補があったのだが、地方自治研究室にいること、そして、銀河線が切実な問題に直面していること、銀河線が地域に根付いていることで、地方自治研究室のテーマに沿っている感じがした、銀河線最後の年になってしまうため、生きた銀河線を残したいということで、このテーマに設定した。

さらに、筆者自身、鉄道や旅行が好きであるため、いきなりテーマを設定して作成するより、今までの蓄積があるということからもふさわしいと考えたのである。

 衰退化する、されつつある地方の集合体とも言うべき、北海道の地域同士を結ぶ鉄路が失われることの重大さを、作成前、調査前から感じていた自身としては、放っては置けなかったし、銀河線誕生の年に小学校へ入学し、学生生活が始まり、そして、銀河線最後の2006年に学生生活を銀河線と共に終える筆者としては、とても親近感があり、共に歩んできた銀河線を振り返ると同時に自分を見つめ直すにもちょうどよいと感じたため、このテーマとした。

 本論を作成するにあって、2005年9月、現地に出向いた。それには、それまで行ってきた、ゼミ調査のような、そのものに関わってきた人たちとの対面で、顔が見える聞きとり調査、実際に目で見てくる体験調査が必要であると考え、インターネットでかかわりがあったJR北海道の職員の方に働きかけ、銀河線関連の人を紹介してもらった。その結果、9月に本別町でイベントがあることを教えていただき、本来予定していた調査日より一週間ほど早かったので、個別に訪問することにし、第一回調査に出向いた。しかし、この調査が後の調査に大きな影響力を持つことになったのである。

 当日は本別駅での聞き取り調査になった。紹介されたこの人は「心に刻もう!ふるさと銀河線の会」の会員の方であった。そして、他にも会員の方が来ており、イベント会場へ行き来する傍ら、ホームで、他の会員の方とも雑談形式ではあるが、様々な話を聞いた。その中で、とても詳しい女性がいたので、後日調査依頼をしたところ、了承してもらったため、後日の調査で聞き取りをすることになった。この人こそ、会の代表で銀河線を存続させようと行政に陳情しに行ったりするほか、絵葉書を作成して売るということまで活動を実費で行ってきた会の代表であった。

 その後、銀河線の社員の方を紹介してもらい、何気なくインターネットで銀河線に関して書き込みをしたところあとから連絡が来て、実はその記事を見たという、元社員で銀河線旗揚げ時に大きく関わり、銀河線を作った人というべき方であった。

 そうしたことをし、本別での調査の後の本調査では、多くの人に会っていただき、聞き取り調査をすることができた。

 その結果、立場は違えど銀河線へ様々な感情を持ち、意識して来たということを感じ、知ることが出来、有意義な調査となったのである。そして、実際に目でも見て、銀河線は、この地域には必要であると強く感じたのである。

 地域が衰退し、政府も地方分権という一方で地域をつぶそうとする流れの現在、銀河線がいかに沿線地域の様々な要素を含み、存在し、欠かせないものかということを本論では述べていくこととする。

なお、本文中では、ふるさと銀河線と表記したり、銀河線と表記したりする場合があるが、これは、より親近感を持てる場合などは銀河線、形式的な場合などはふるさと銀河線という具合に使い分けることとする。


第1章 銀河線の概要と北海道の鉄道の歴史

 

第1節ふるさと銀河線の概要 ふるさと銀河線の歴史〜網走本線から廃止対象となるまで〜

ふるさと銀河線の歴史を述べるにあたって、開業10周年に発行された『ふるさと銀河線10年のあゆみ』(平成11年6月4日)を参考、引用、要約した上で述べていく事とする。

ふるさと銀河線は、前身のJR池北線が廃止になるのを受け、道や沿線自治体などで出資し、第三セクターで存続させた鉄道である。

こうした第三セクター鉄道は、全国に多々あり、最近では、東北新幹線の八戸延伸に伴い、平行在来線の東北本線が廃止になるのを受けて設立された、「青い森鉄道株式会社」及び「IGRいわて銀河鉄道」が新しいところである。

ふるさと銀河線の歴史は、今から(2006年)96年前の1910年、国鉄網走本線、のちの石北本線の池田―淕別(現 陸別)77.4Kmで開通した。その翌年、野付牛(現 北見)まで伸び、現在のふるさと銀河線の140、0Kmに及ぶ全区間が開通している。なお、網走本線はさらに翌年に全線開通している。1961年、銀河線の前身である()(ほく)へ改称される

1982年、「特定地方交通線」に指定される。この特定地方交通線とは、「1980年成立の「日本国有鉄道経営再建促進特別措置法」(国鉄再建法)に規定する地方交通線のうち、バス転換が妥当とされた旅客輸送密度4000人以下の国鉄路線のことで、この中から、輸送密度等の条件を勘案して第1次から第3次までの廃止対象路線が選定された」。

つまりこの指定を受けると赤字対象路線とされ廃止とされるわけである。

これを受け、地元では、存続に向けて利用拡大の取り組みや、関係方面への度重なる陳情など運動を展開、その結果1984年5月18日、北海道知事は「第2次特定地方交通線」に関する知事意見書を当時の運輸大臣に提出し、国鉄として存続するための特別措置を講ずるよう強く求めた。

同年、6月22日に運輸大臣は、道内10路線を第2次特定地方交通線とし承認し、池北線を含む4路線は厳寒期を含め、100Kmを越える長大線の代替輸送としてバス転換が可能かどうか十分な調査が出来るまでの保留扱いとした。

その結果、運輸省の冬季間を含め調査が行なわれ、翌1985年8月2日に特定地方交通線に承認された。なお、国鉄から民営化される経緯については、追って北海道の鉄道の歴史で述べる事とする。

1986年7月15日、「第一回池北線特定地方交通線対策協議会」が開かれ、国鉄としての存続及び民営化後も国の補償の下で運営できる新会社による鉄道としての存続を強く要望された。

1987年、そうした流れの中で、国鉄が分割民営化され、池北線はJR北海道へ移管された。

 

 

 

【表1】ふるさと銀河線への出資者と額、割合

  区分

団体数

出資額(万円)

割合(%)

地方公共団体

40,000

80,01

電力 金融機関

5,500

11,00

地元企業

111

1,910

3,82

団体 個人

288

2,585

5,17

 合計

414

49,995

100%

平成13年4月1日現

【表1】「北海道ちほく高原鉄道株式会社公式HP引用」

 

JRからちほく高原鉄道へ

1988年4月20日、「池北線対策(地元)会議」では、第三セクターでの存続が再確認され、11月14日の「第4回池北線特定地方交通線対策協議会」では、第三セクター方式での鉄道輸送にすることが決定された。

11月27日には、「池北線運行対策準備会」を発足させ、規約、役員、事業計画等を決定し、路線名に関しては公募するということとなった。

そして、12月27日に会社設立発起人会が開催され、その中で、発起人代表が北見市長に決定した。この年は、ふるさと銀河線として池北線が大きく動いた年となったわけである。

平成になった1989年1月20日、池北線運行対策準備会では、多数の公募の中から、新しい路線名(愛称)を「ふるさと銀河線」とすることが決まった。

2月27日の「第5回池北線特定地方交通線対策協議会」では、代替事業輸送者を「北海道ちほく高原鉄道株式会社」とすることが決まり、転換時期は6月4日をめどにすることなどが決定された。

翌日には、「北海道ちほく高原鉄道株式会社創立総会」が開かれ、80年余りに渡って地域の足となり、地域同士をつないできた池北線は、新たに「ふるさと銀河線」としてスタートする日となった。

3月18日には、職員20名が常駐、就業規則の整備、運賃申請、運行計画など、開業に向けての作業が本格化した。

そんな中、3月29日、JR北海道から提出されていた長大4線の廃止申請が認められ、翌日に、池北線に「代替鉄道事業者認定所」及び、「第一種鉄道事業免許状」が「北海道ちほく高原鉄道」に交付された。

4月24日午前7時14分、北見駅1番線に銀河線専用車両となる車両が6両、製造場所の新潟鐵工所からはるばる回送され到着した。

白い車体にグリーンは高原、ブルーは銀河をイメージしたラインが入り、1市6町の沿線自治体を7つの星で表したディーゼルのこの車両はCR70と名づけられた。「C」はちほく(CHIHOKU)「R」はレールウェイ(RAIL WAY)から名づけられ、会社のロゴもこのCRをあしらったものになっている。

翌日には、約40名の関係者が見守る中、新潟鐵工所大山工場の工場長より、真鍮製のブレーキ弁ハンドルが手渡され、車両の引渡しが行われた。

その後、試運転などを経た後、ヘッドマークを取りつけるなどの開業式典準備が着々と進んだ。

開業式典は、当初、北見で行うとされていた。しかし、沿線自治体全てのものであるのに、一箇所に固まってやるのはおかしいと言った声が、当時銀河線を作り上げてきたメンバーの中心人物から出た。その結果、中間である置戸駅で開催されることとなり、置戸までは、池田側、北見側の両方から列車を走らせるということとなったという経緯がある。

 

ふるさと銀河線開業

こうして、JR池北線が6月3日をもって80年の歴史に幕を引いた。そして、その翌日、「北海道ちほく高原鉄道 ふるさと銀河線」が出発したのである。

開業当日、北見駅で、「北海道ちほく高原鉄道株式会社」の社長である北見市長から「北海道の開拓と一緒に歩んできた80余年を思い出しながら、新たな歴史を皆さんと一緒に築き上げて行こう」と挨拶があった。

知事、社長らのテープカットの後の花火を合図に、列車は知事らを乗せ、「北海道ちほく高原鉄道株式会社開業式典」の会場の置戸中央公民館のある置戸へと向かって行った。途中の駅では、沿線住民が集まり、合唱や花束贈呈や訓子府高校、北見柏陽高校のブラスバンド部による演奏などが行なわれ、祝福された。

一方、池田側でも、池田駅で、会社副社長社長であり、足寄町長が「地域を結ぶ大動脈、ふるさと銀河線をよろしく」と挨拶し、テープカット、花束贈呈などのあと、シャンパンで乾杯した後、池田中学校のブラスバンド部の演奏に見送られ、列車は池田を出発。車内では記念ワインがプレゼントされた。

 途中駅でも、様々な式典が行なわれ、あいにくの雨の中にも関わらず、集まった500名ほどの人たちに迎えられ、列車は置戸に到着した。

 こうして、ふるさと銀河線は、赤字で廃止瀬戸際の鉄路から、地域の、みんなの鉄道となったのである。

 翌年6月2日、団体客誘致の起爆剤になると大いに期待された、オールロングシートで通路にテーブルを設けたイベント車両が完成し、到着した。銀河線は、団体客にも対応できることとなったのである。

 


1 「ウィキペディアフリー百科事典」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%AE%9A%E5%9C%B0%E6%96%B9%E4%BA%A4%E9%80%9A%E7%B7%9A を参照にした

 地方公共団体を第一セクター、民間企業を第二セクターとし、それらと違う第三のセクターでの方式によるもののことであるが、世界的に見ると、NPO、市民団体、その他の民間非営利団体を指すので、日本のように民間と行政との連携をさすのはまれである。

 元北海道ちほく高原鉄道株式会社の社員で、元々は北見市職員。銀河線設立時に引き抜かれ、ちほく高原鉄道に入る。銀河線設立に大きく関わり、その後も退社までの間、銀河線を盛り上げようと、「銀河鉄道999」タイアップ企画など、様々な企画を行ない、周りが動かない中、精力的に活動した人物。現在は北海道行政書士会会員の行政書士を勤めるほか、北見市の第三セクター株式会社グリーンズ北見にも関わっている。

 

つづく

 

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