特集 第24回:卒業論文 ふるさと銀河線とローカル線の果たす役割V

 2006年3月20日掲載

第2章 銀河線を取り巻く問題

 

第1節 過疎化と乗客離れ

 先に述べてきたが、道内では農業、林業、炭鉱の衰退、さらに、これといった産業なども育つことも無く、地域が衰退して来た。銀河線沿線も同じで、林業と農業が衰退してきたので、過疎が進んできた。

 実際、開業から5年目で、1日平均乗客が2400人で600人も開業から落ち込んでいる。その後も右肩下がりに乗客が減少していっている。それを示すのが【グラフ1、2】である。

 

【グラフ1】ふるさと銀河線輸送人員推移

 

 

【グラフ2】ふるさと銀河線沿線自治体の総人口数の推移

【グラフ1、2】共に資料 北海道ちほく高原鉄道株式会社『会社概要』平成17年7月作成 p.9・14より作成

 

 それに加え、地域で産業が育たず、若者を中心に都会へ出てしまうということもある。これが先に述べた一極集中を招く。

 もう1つの要素は、これも先に述べたが、モータリゼーションである。乗る人がいないので、列車が減便されるし、また運賃も上がる。仮に、北見―池田を往復するとし、割引乗車券などを使わずに乗った場合、往復で6810円になり、負担はかなり大きいといえる。さらにこれが1人でということであればまだしも、家族連れともなると断然、マイカーの方が安上がりだし、便利である。そうしたことから、列車離れが加速し、銀河線はただでさえ過疎で乗客が減っているというのに、マイカーの普及で列車離れがさらに起こるという要因が重なり、ダブルパンチなのである。

 ただ、逆に言えば列車が少なく行きたい時に行けない、帰られないなどの現状からやむなくマイカーという場合もあると考えられる。いずれにせよ、利用したくてもなかなか出来ないという状況になっていることは確実なのである。これは銀河線に限った話ではなく、北海道のローカル線全体に言えることである。

 

5年目を境に

 沿線や、銀河線社員から聞き取りすると口々に「開業5年目を境に意識が薄れてきた」と話す。第一章で述べたようにこれは「開業フィーバー」が関わってくると考える。地元では1、2年、他の地域からもの珍しさにやってくる乗客も、5年も経てば興味を持った人も一通り訪れたり、訪れるのを断念したりと結論が出る。

 おまけに、新しく開通した路線ではなく元々昔から池北線として存在し、北海道に根付いてきたということも、もの珍しさに欠けるということもあるだろう。

 そうしたこともあって、次第に乗客が減り、意識も薄れてきた。いや、これがこの路線の本来の姿で、本来の姿を取り戻しつつあったといえるだろう。今までの開業フィーバーの夢から覚めたのである。

 それに加え、過疎に車社会の促進が一層進むという悪循環もあったのである。

 さらにもう1つ、会社自体も色々企画をし、乗客確保をしようとしてはいたのだが、根底部分に会社体質そのものが問題だったという面もあるのである。

 

第2節 地域間の温度差

 ふるさと銀河線には、元々自治体間の温度差があった。温度差とは、住民意識レベル等を指すことである。この温度差が銀河線に大きな影を落している。

 銀河線の大まかな概要としては、根室本線池田駅から石北本線北見駅を途中、交通機関がない本別、陸別、足寄を通り、山間部を経ている。このことが大きく温度差を生んでいるのである。

 池田には特急列車が走る根室本線が、北見にはこちらも特急列車が走る石北本線がある。なので、別に病院に行くときも、買物に行くにも、旅行するにも、通学するにも、ふるさと銀河線がなくとも全く不自由しないのである。しかし、陸別、置戸、足寄といった自治体は、銀河線以外の公共交通機関がない。本別も、バスはあれど、易々と使える状況に無い。

 このことからすでに分かる通り、両端部では銀河線は別になくてもいいといった感覚であるのに対し、中心部では、銀河線は必須であるという全く正反対の感覚なのである。

 「心に刻もう!ふるさと銀河線の会」の代表は「通学にも銀河線がなくなれば、北見駅まで学生を親などが送って行き、そこから改めてJRで留辺蕊まで出なくてはならない、これを毎日やるというのは無理がある」と語る。

 さらに、「周辺の同じ学校へ通う生徒の親同士が交代で送迎をすればよいが、それでも、大変な負担になることは間違いない。反対に、置戸へ通学する場合は、北見へついてから、新ためてバスに乗り換えをしなくてはならない、今でさえ、列車のダイヤの関係上、通常の高校の1時間目の授業には全く間に合わないため、1時間目を通常の高校の2時間目に設定されている、そのため、帰りも通常の高校よりも1時間分遅い」とも語った。

 ただでさえ不便な通学も、銀河線がなくなれば、バスの遅れで列車に接続できなく、授業に間に合わないなどの問題が特に寒さが厳しい冬に起こることが十分予測できる。

 こうしたことも考慮されていないというのは、地域間の他、利用者間、住民間でも温度差があるともいえるだろう。

 

政治に揺るがされ続けた銀河線

 1989年、銀河線設立時の存続運動はさほどでもないという意見が実はある。ではこの原動力は何だったのか?と言えば、政治である。

 「建設」となると何かと政治が絡んでくるのは日常茶飯事であるが、銀河線もその餌食になったのである。

 北海道ちほく高原鉄道の社員は「足寄が地元の鈴木宗男氏が、なんとか地元の鉄路を残したということで、当時関わりのあった田辺、金丸両氏に働きかけた結果、存続が決まった」と語る。

 確かに、最後にはこうした大きな力が必要であったし、先に述べたが転換交付金の額で、鉄路で存続させる場合は半額、バス転換だと全額支給という場面からも感じられるように、鉄路で存続させること自体、煙たがられる傾向にあったようである。では、なぜ鉄路が半額でバスが全額か?と言えば、なんだかんだで、国が面倒見る分に関しては、鉄道は金がかかるということであろう。バスは、既存の道路を走るので、道路さえ維持すればいいわけであるのに対し、鉄道の場合は、保安設備や安全面等々でいろいろと面倒を見なくてはならないという部分が出てくる。そうしたことが厄介だったと推測できる。

 さらに、廃止予定が決まった経緯にも政治が絡んでいる。

 2003年3月29日、沿線自治体の首長が集まって、立ちあげた「ふるさと銀河線沿線関係者協議会」で10月10日の協議会で、会社社長である北見市長がちょうど、協議会と市議会が重なり、銀河線の存続を模索する協議会にもかかわらず、協議会を蹴って市議会に出た。このことが憶測を呼ぶこととなり、さらに、今までは北見市長が召集をかけて行なっていたのに対し、この会では陸別町から召集がかけられ、北見市長が欠席であったため、なおのこと、腹の探りあいに発展し、しまいには「北見市長は存続に反対な(自民党)武部氏に近く、腹は廃止やむなしだから外された」と解説まで出る事態となった。ここでも、自治体同士の足並みの乱れが見てとれる」。さらに、社長である北見市長を抜きで行なう協議会ではないはずである。

 また、銀河線廃止を前後に、美幌バイパスや、旭川紋別自動車道、道東自動車道の建設に動きがあったというも注目すべき点である。実際、武部氏は「沿線7市町村の存続要望の直談判に対し「存続は難しい」と難色を示し、さらに、「地域住民の足を守るのが一番、道路建設を促進すべきだ」と述べ、逆行する形となってしまった。しかし、ここでいう武部氏の道路建設とは、高速のことをさすが、一体誰が使うのだろうか?銀河線ですら赤字であるのに対し、さらに維持費、建設費がかかる高速を作っても、乗る人がいないのである。

「心に刻もう!ふるさと銀河線の会」の代表は「住民の足は道路ではなく、誰でも使える鉄路である」と語る。確かに高速道路はまず、車があること、次に免許があることというのが前提である。これに対し、鉄道の場合は、運賃さえ払えば免許があろうがなかろうが、誰でも利用できるのである。これが本当の住民の足と言わずして何と言うのだろうか。

 こうした武部氏の方針と、真実とのズレというものも存在すると考える。

 さらに、本来ならば、真剣に考えた回答が返ってくるべき知事も、「ふるさと銀河線存続運動連絡会議(現 心に刻もう!ふるさと銀河線の会)」が陳情書を出したところ、色のいい返答がなかったという。知事が銀河線立ち上げ時の横道孝弘氏、その後の堀達也氏と比べ、高橋はるみ氏になってからは、銀河線への風あたりが強くなったと言える。

もう1つに、訓子府町長は北見市長に近い関係である。そのため、北見が白と言えば白、黒と言えば黒とくっついて歩く傾向にあるようだが、こうしたドロドロとした水面下の裏事情が実は銀河線の存続に大きく左右していることが確かなのである。

 

第3節 沿線自治体の概要

北見市

 北見市はオホーツク圏の中核都市で、1897年北光社移民団と全国から募集された屯田兵によって開拓された。特産であったハッカは、世界の7割を生産していた時代もあり、現在は基幹産業の農業、(とりわけ、玉ねぎの生産が多い)や工業、商業ともに発展しているまちである。しかし、中核都市ということで、力が大きく、それゆえ、銀河線問題ではもっとも力、決定権を握り、北見の意見だけで左右されることも多々ある。

人口は110257人。

 

訓子府町

 1897年北光社移民団のうち、13戸が入植、定住したのがはじまり。

 基幹産業は農業で、玉ねぎ、馬鈴薯、小麦、テンサイ、小麦などを栽培している。その他、林業、工業などもあるが、大きなものとはいえない。

 訓子府高校は、銀河線を利用し、通学する生徒が多く、通学のためのダイヤも設定されている。しかしながら、首長が、北見市寄りであるため、北見市の提言について行く傾向にある。人口は6346人。

 

 

置戸町

 大雪山の東側に位置し、周囲を山に囲まれている。町の84%を占める森林からは、エゾマツ、トドマツを原料とするオケクラフトが生まれる。丘陵地や平地では、酪農や、カーネーション、ヤーコン、メロンの栽培が盛んである。

古くから教育のまちとして知られ、図書館活動は全国でも高い評価を得ている。

訓子府と同様で置戸高校に通う生徒が銀河線を利用するため、通学時間帯に特急列車に接続しない通学専用にダイヤが組まれている。

林業王国の木々は、建築材料を初め、薪、坑木、紙の材料パルプの原料となるなど、生活に欠かせないものの材料を次々産出していた。そうした中で、網走本線、現在のふるさと銀河線の開通はこの地域への大変大きな起爆剤となり、林業構造を一変させた。置戸駅は、木材を送り出す拠点になったのである。林業は衰退したとは言え、調査に行った際、陸別で本別町(勇足にある製材工場へ向かうのか、大型の木材運搬用トレーラーが木材を満載して置戸方向から来るのを見かけた。今も林業は確かに生き残っているのである。

戦時中は軍船や航空機材料などにも用いられた。しかし、林業が安い外国産木材に押され衰退し、林業は衰退してゆく。

そうした中で、まちは教育のまちへと変わって行く。そのきっかけとなったのが1977年に開始された人間ばん馬大会である。ばん馬とは、北海道で冬に木材の輸送などに使われた強靭な肉体を持つ馬の事で、昔から北海道の産業に大きく関わってきた。

そのばん場の引くそりを人間が引くというものである。馬は人間に必要な物であり、かかせないものであるということから、大切にされ、また、森も神として祭る精神があった。その心を忘れないようにということで、今は必要なくなり、いなくなった馬に変わってそりを人間が引けばよいと行なわれた大会が人間ばん馬レースである。

この大会は、人口の3〜4倍の観覧客が押し寄せる結果になり、成功を納めた。そしてこの結果が、「小さい過疎のまちであってもやればできる」ということを教え、社会教育の定着するきっかけとなったのである。こうした精神が、たとえ小さくても、やればできるという精神から自立する自治体の形成につながり、合併せずに自立を選んだのである。

今、まちの特産品になっているオケクラフトは、チップか薪にしかならない製品価値の低い木材を有効活用しよう流れで産まれた。ゴミのようなものに付加価値をつけた結果、高い評価を受け、大好評となる。そして追加注文が入るほどになった。

その結果、流通というものがいかに大切かということを見出し、身を持って経験することが、のちに、置戸というものを見直し、再認識する結果になったのである。

そうした、住民が自分たちの住む町を認識するということが、合併問題など、地域に降りかかる問題を、行政だけでなく、町民を交えた中で議論され、一緒に置戸を考えて行く体制のきっかけになったのである。

人口は3690人

 

陸別町

内陸部に位置する陸別町は真冬の寒さで知られ、1977年にー35.5度を、2000年には、非公式ではあるものの、下陸別でー37.7度、関にある温度計がー40度以下を示し壊れるというほどの記録が出ている。毎年―30度やそれを下回ることもあるほど寒いまちである。しかし、夏は36度や37度など高温になることもしばしばで、気温差の大きいまちである。

町内には日産自動車の走行試験場などがある。また、寒さを逆手に取った「しばれフェスティバル」なども行なわれる。

さらに、天文観測も盛んなまちで、「銀河の森天文台」には22等星などの暗い星まで観測できる望遠鏡があり、オーロラも度々で観測されたりする。

「心に刻もう!ふるさと銀河線の会」などが中心となり、銀河線を使った天体観測会なども行なわれている。

銀河線の他に交通機関がなく、また、冬季の路面状況がひどく悪いため、銀河線廃止となるともっとも痛みを蒙る自治体の1つである。

銀河線の存続、廃止を決める際、最後まで粘って廃止反対を表明していた金澤紘一町長は、元木材会社の経営陣で、銀河線経営陣の中で唯一、経営のノウハウを持つ人物である。

最近では、自動車オフロードレース「ラリージャパン」を誘致したりしているが、環境破壊につながるとして問題にもなっている。人口は3050人。

 

足寄町

十勝地域に属し、全国第2位の1408.09kuの面積を有す。その84%が森林で清らかな水、空気に恵まれている。また、雌阿寒岳周辺には秘境「オンネトー」があり、観光資源となっている。

福祉に力をいれ、年をとってもまちで暮らせるように助け合い社会の実現を目指している。

 足寄も、銀河線が有力な交通機関である。また、鈴木宗男氏の地元でもあるが、先に述べた銀河線存続の経緯でもし、彼が足寄出身でなければ、銀河線は残っていなかったかもしれない。人口は8571人

 

本別町

まちの半分以上が山林に覆われ、十勝特有の大陸性気候で、年間を通じて日照時間が多く、夏の気温が高く、冬が低い。降雪は少なめである。

近年は産業の中核は農業と工業である。また、勇足にはかつて盛んだった林業の姿をとどめるべく、木材加工工場がある。(余談であるが上利別駅ホームには材木が整然と積まれている)

最近では、道東自動車道の建設でインターチェンジが設けられたことで、道東の拠点として注目されつつある。

バスがある一方で、やはり、銀河線が交通の主体である。しかし、帯広、池田が比較的車だと簡単に行けてしまうため、陸別ほど銀河線の重要性が認識されていない。

駅舎や駅前通り、道路標識に「銀河」を取りいれ、「銀河」でまちづくりをしている自治体の1つである。

人口は9188人

 

池田町

帯広に近く、十勝の東側に位置する。まちの所得向上を目指し、1961年にブドウ栽培、ワイン作りに着手、今ではまちの欠かすことのできない重要な産業となり、ワインでまちづくりをしている。今では、駅近くに「ワイン城」が作られ、観光の拠点になっている。

駅前にも、コルク抜きやワインの樽のモニュメントなどが置かれており、年間55万人の観光客が訪れている。

また、全国の自治体で最初にケーブルテレビ(CATV)を導入し、自主番組の他、町議会などの生中継が行なわれている。

根室本線池田駅は、銀河線の十勝側起点、終点となっている。帯広乗り入れの列車はここで、JRの車両を前に連結し、帯広へと向かう。

特急までもが止まる根室本線の駅があるため、帯広まですぐに行ける。そのため、北見市同様、銀河線はさほど住民には用事がなく、意識が薄いのが実情である。

人口は8431人

 


 上田義則 著 『緊急レポート 鉄路の行方』(平成15年11月8日)p.10

 上田義則 著 『追跡レポート 鉄路の行方W』(平成17年4月23日) 

p.10〜11

 上田義則 著 『追跡レポート 鉄路の行方W』(平成17年4月23日) 

p.13 傍点は筆者が協調するために追加

 「1890年、北見、訓子府に高知県から開拓のため入植した移民団。北光社は、あの坂本龍馬の甥である坂本直寛によって組織化された移民団であり、もう一人のリーダー的存在であった前田駒次は、水稲の耕作をした農業の父といわれ野付牛北光社農場管理者でもあった」14

 まちでかろうじて行なわれていた伝統的な割木工の技術を基礎に最新の技術などを用いて製作された桶上の器に置戸の名前をかけて名づけた。

 佐藤靖子 著 「『2002年地方自治研究室卒業論文』森林は地域の源―木を活かしたまちづくり実践―」p.78〜83要約

 陸別町『町政要覧』p.2参照にて

14 「まるごと地域情報 北見市の歴史」

http://www.coco-city.com/lifetown/rekisi/

 

各自治体の人口数などのデータは、各自治体のホームページより引用

北見市:http://www.city.kitami.lg.jp/090-08/090-08.htm

訓子府町

http://www.town.kunneppu.hokkaido.jp/web/PD_Cont.nsf/0/8B7E5F7D8D2A36CE49256E1A00067623/$File/

置戸町:http://www.town.oketo.hokkaido.jp/okemain/sinn/oketo/main.cfm

陸別町:http://www.town.rikubetsu.hokkaido.jp/town/pocket/index.html

足寄町:http://www.town.ashoro.hokkaido.jp/shokai/shokai.htm

本別町:http://www.town.honbetsu.hokkaido.jp/

池田町:http://www.town.ikeda.hokkaido.jp/

 

 

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